1984年以来、私を含め3人の指導者を中心として、沖縄伝統空手の普及にあたっています。 伝統泊剛流空手道連盟 泊剛会(とごうかい)には「泊」という漢字が含まれています。船が停泊する場所を表す「泊」は、人の交流が始まり・文化・歴史が作られる場でもあることから、様々な年代・環境の会員が各自の目的・体力に合わせて稽古し、生涯にわたって武道を続けられる会を目指しています。 稽古は、沖縄伝統空手の鍛錬方法である型(剛柔流と泊手)を中心に行い、競技組手は行いません。 若い人や体力がある時期は”剛”の技の使い方を中心に稽古しますが、武道は力やスピードだけに頼るものではありません。徐々に”柔”の技の使い方や他の武道と共通する考え方を取り入れ、体に過度の負担をかけず相手の動きも利用して、自分の技の有効性を高める稽古をしています。
伝統泊剛流空手道連盟泊剛会
会長 細矢悦司
指導者・会の沿革
・松濤館時代 昭和50年に、松濤館道場に入会。 細矢悦司先生:修徳高校で空手道部に所属し、関東大会・全国大会などに出場(型・組手)。 修徳高校で、空手道部部長 故:服部正信氏(剛柔流の先生)のご縁により入部。 ・沖縄伝統空手 剛柔流の修練開始 昭和53年2月、高校の空手道部コーチ井上氏の退任よりスポーツ空手に疑問を持っていた服部部長が親交のあった、 沖縄空手剛柔流専武会所属の外間氏とご紹介でと専武会に服部部長が弟子入り、修徳高校空手道部、全員が弟子入りし、当時内地で沖縄空手で出場する部はありませんでしたが、高体連の試合に出場。 昭和53年3月 高校の空手道部が沖縄剛柔流専武会に所属する。 昭和57年 沖縄剛柔流、泊手空手道振興会名称変更 本土で発展した空手ではなく、沖縄古来の武道としての剛柔流・泊手空手の修練を始める。 ・修徳高校空手部の指導 細矢悦司先生、平賀先生:高校空手道部のコーチに就任。 細矢正則先生:関東大会・全国大会に出場(型・組手)し上位の成績を納める。高校を卒業後、同空手部のコーチに就任。 ・沖縄剛柔流空手普及時代 空手部コーチを退任し、江戸川区・葛飾区・練馬区・千葉県市川市で幅広い年齢層への沖縄伝統空手の普及に努める。 少年少女型試合の開催や地域区民祭に参加し、支部を超えた会員の交流などを行った。 また、年に一度チャリティー演武大会を開催し災害復興のための継続的な募金を行っている。 その他、沖縄本部が主導する沖縄県世界大会、中国福建交流演舞大会、カナダ交流演舞大会に参加。 ・伝統泊剛流空手道連盟 泊剛会(とごうかい)設立 コロナによる世の中や会員の環境が大きく変わる中、沖縄伝統空手の考え方である生涯空手を心身・経済の両面において実践できる環境を目指し、沖縄剛柔流・泊手協会を退会。 剛・柔の技、さらに武道に共通する技の使い方を体得し長く続けられる会を目指している。